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京の都と真言宗の聖地高野山を結ぶ街道、平安時代の天皇、公家の高野参詣や中世から盛んになる武士、庶民の高野参詣に利用されました。
この街道には、主に三つのルートがありました。一つは東高野街道です。
古代の官道のひとつ南海道が前身とも言われています。京から石清水八幡、洞ケ峠、生駒山西麓を南下し、河内国府、富田林寺内町を経て河内長野で西高野街道と合流します。西高野街道は堺の大小路を起点にして仁徳陵の北で竹内街道と別れ、河泉国境沿いを進み狭山のくみの木、河内長野の楠町で中高野街道と合流します。
この西高野街道は京から淀川を下って大坂天満に上陸し、ここから四天王寺、住吉大社を経て堺に出、高野山に向かうコースと考えられます。
中高野街道は平野から真っ直ぐ南下し、松原市阿保、美原町舟渡池、菅生神社を経て狭山に向かい河内長野で西高野街道と合流します。更に四天王寺から真っ直ぐ狭山に向かい西高野街道と合流する下高野街道がありましたが、詳細は判っていません。
この西高野街道と中高野街道が河内長野市の楠町で、西高野街道と東高野街道が河内長野駅前の本町で合流し、一本となって紀見峠に向かいました。